ここでは皮膚移植の体験について書きます。
皮膚移植の体験は50年程前のことなので、細かいことは忘れてしまいましたが、ショックも大きかったので重要な点は覚えてます。
また、その後、後遺症や痛みで50年間苦しみ続けたことについても書きます。
皮膚移植が必要になったわけ
10歳位の頃、プラモデルか何らかの模型を作っていて、カッターで左手人差し指の先端をスパッと切ってしまいました。
傷が大きかったので親も慌てたのでしょう。救急車を呼んで近くの整形外科に運ばれました。
病院で止血し、皮膚移植した方が早く治るからと言われ、後日皮膚移植を受けることになりました。
皮膚移植手術
まだ子供で、注射でも怖いのに皮膚移植手術と聞いて、かなり怖かったのを覚えてます。
うまくくっつかないで、剥がれてしまうこともあるそうですが、移植皮膚はくっつき、手術としては成功しました。
移植する皮膚は太ももから取りました。健康な部分から皮膚を削ぎ落とす訳で、こちらも怖かったです。
皮膚移植後の傷跡と見た目
移植した当時は、もう少し色が薄かったような気がしますが、50年後の状態はこうなってます。
皮膚を取った太ももの部分は、今でも少し色が違います。
皮膚移植後の痛みと後遺症
皮膚はくっつきましたが、いつまで立っても色や質感が違うことがかなりショックでした。
もっと重篤な指の欠損などの方と比べれば、指先のほんの小さな傷ですが、本人にとっては、メンタル的にかなり重いものです。
移植した皮膚は、ふにゃふにゃで、傷つきやすく、冬になるとひび割れを起こして血が滲んだりしました。指の皮膚と太ももの皮膚は、全く異質であり、指先の過酷な環境に、ふとももの皮膚では耐えられないようです。
医者には早く治るから・・・と言われましたが、全く治った気はせず、皮膚移植しないほうが良かったんじゃないかと子供ながらに悩みました。
皮膚移植の先に”完治”という言葉は無いように思います。
移植した部分が次第に小さくなっていくとか、同質化していくんじゃないかなどと期待したこともありましたが、決してそのようなことは起こらず、面積が変化することはありませんでした。
指先の小さな部分ですが、一番使う部分であり、痛いのでいつの間にか、中指を使うようになってました。
カッターで切った時に、その皮膚を乗せておけば、くっついたはず、などと、今更どうしようもないことを言われて傷ついたこともありました。
思春期になると移植部がコンプレックスになりました。友人と手の大きさを比べたりしますが、移植部分を見られるのがいやで、左手を出すのは避けていました。
ギターを始めたのですが、押さえ方によっては絶望的に痛くて無理でした。ギターを毎日弾いていると、指先の皮が厚く硬くなりますが、移植された皮膚ではそのような変化は起こりません。
私の場合、皮膚を取った部分はさほど気になりませんでしたが、もっと広い面積を取る場合は、取った部分についても悩みのタネになると思います。
人差し指の指先はいちばん使う部位なので、小さな苦しみでも、毎日、何回ものことですから、痛みや後遺症は大きいと思います。
一言で皮膚移植といっても、様々なケースがあると思います。必要なケースももちろんあると思います。
但し、私のケースについては、皮膚移植は受けるべきでなかったと思います。
移植皮膚後の再手術
このように毎日小さな不自由を感じていたので、良くなる方法をずっと探してましたが、ネットでいろいろ検索しても、皮膚移植部分を再手術するような情報は見つかりませんでした。
ネットで、”皮膚 再生”などと検索すると、美容系のサイトばかりが表示されます。
”指 再生”と検索すると、魔法の粉を使って指が生えてくるみたいな怪しげな記事や、再生医療についての研究などが検索されます。
怪我で欠損した皮膚の再生や、私のような皮膚移植した部分を剥がして、再生させるというようなサイトは見つかりませんでした。
そんな中で、どんな検索をしていたのかは覚えてませんが、偶然、湿潤療法についてのサイトを発見しました。
湿潤療法ついて調べてみると、「なつい キズとやけどのクリニック」さんが中心になっていることが判りました。
多数の症例が写真付きで掲載されており、自分と似たような人やもっと重い人も多くいることがわかりました。
キズパワーパッドなどを使ってましたし、湿潤療法について全く知らなかった訳ではありませんが、ここまで深い傷を治療できるものとは思ってませんでした。
自宅の近くにも、湿潤療法を行っている病院が紹介されてましたが、できれば本家でやりたいと思いました。
フォームから相談に乗って頂けるようだったので、自分の指先の写真を添付して治療可能かについてお聞きしました。
翌日には夏井先生ご本人から返信があり、類似の症例を紹介頂き、治療可能な旨のご回答がありました。
家族に話をして、症例を見せるとかなり驚いてました。私自身、この段階では100%理解しておらず、本当なの?怪しいんじゃないの?という反応は無理もないと思いました。
治療を受けることについての迷いは全く有りませんでしたが、50年待ったのだから慌てる必要もなく、2週間後、診察を受けることにしました。